豊川海軍工廠戦没学友慰霊祭

豊川海軍工廠とは

豊川市海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和13年に旧宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがって建設することが決定され、昭和14年12月に開庁しました。 機銃及び弾丸や艦船で使用する距離儀、双眼鏡、射撃装置などを生産し、機銃の生産に関しては日本最大の規模で、東洋一の兵器工場と言われました。
工廠の発展は、人口の増加や各町村の結びつきを強めることとなり、豊川市の誕生・発展に大きな影響を与えました。 しかし、昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機124機とP51戦闘機45機による空襲により破滅的な被害を受け、2,500名以上の人が犠牲となりました。

(豊川市観光協会WEBサイト『海軍工廠』より引用)


立命館大学慰霊碑について

 昭和20年8月7日の空襲により工廠は壊滅しました。空襲の犠牲者の中には学徒動員された4名の立命館大学学生がいました。犠牲者のその後については、総務省のWEBサイトに記述があります。

 終戦を迎えた8月15日にも豊川海軍工廠内では戦没者の遺体収容作業が続行されていた。遺体は遺族に引渡されず、市内の千両町と諏訪町の山林に急造された海軍墓地に20~30体ずつ纏めて仮埋葬された。 また、豊川閣(豊川稲荷・妙厳寺)では、寺内の最祥殿に遺骨箱を安置し、朝夕の読経慰痍行事が行われ、その後四十九日の法要が営まれた。

 昭和20(1945)年10月、豊川閣裏(現 豊川市緑町)の広場では、豊川海軍工廠従業員報国団が全国より浄財を集めて戦没者供養塔建立の準備が進められ、翌年の9月23日供養塔竣工除幕式を行った。 以後8月7日の命日にはここで慰霊祭が行われた。しかし、2か所の海軍墓地は戦後の混乱により管理者もなく、また工廠幹部職員も生活に追われて戦没者を顧みる余裕はなく、供養は遺族や同僚達によりそれぞれに行われていた。 もうすぐ七回忌を迎えようとする昭和26(1951)年、呉地方復員残務処理部が主となり、愛知県民生部と豊川市役所が協力して海軍墓地の遺体を発掘し、遺骨を命日まで渡されることになった。 作業は6月1日に始まり、81か所の墓地から2,385柱の遺骨が収容され、遺友会合同慰霊祭後遺族に渡されたが、引き取り手のない200柱の遺骨は、呉の海軍共同墓地に葬られた。

(総務省WEBサイト『豊川市における戦災の状況(愛知県)』より引用)


豊川海軍工廠立命館大学慰霊碑

 遺体が発掘されたあとの千両・諏訪の両墓地には、後に数々の慰霊碑が建立されることになりました。 立命館大学慰霊碑は、前述の4名の犠牲者の慰霊の為に、昭和51年に諏訪墓地内に建てられました。慰霊碑の背面には末川名誉総長の追悼文が刻まれています。 下の写真をクリックすると別ページで拡大画像が開きます。


末川名誉総長の追悼文

末川名誉総長の追悼文




慰霊碑の清掃


慰霊碑の清掃 皆で慰霊碑周辺を清掃
作業終了 30分ほどで作業終了
清掃の参加者 参加者
 平成30年8月4日(土)午前8時から約30分間にわたり、豊川市諏訪墓地内に於いて、校友14名により豊川海軍工廠立命館大学戦没者慰霊碑周辺の清掃作業を行いました。
 この清掃作業は、従来、豊川市職員とそのOBの校友の方で行われてきましたが、平成26年より東三河会の事業として実施するようになりました。

 豊川市によってあらかじめ刈り取りが行われていたため、当日は慰霊碑周辺の手作業が中心でした。30分ほどで作業が終了しました。


平成30年8月4日(土)午前8時から約30分間

 参加者14名 

東三河会役員>(敬称略)
村田修一、安彦章、岩瀬安治、飯星睦生

校友>(敬称略)
八木憲一郎、竹本幸夫、廣田幸生、鈴木信弘、
森下保、岩瀬直樹、山本太郎、青山征矢、
岡田健志、小椋良則



立命館大学戦没学友慰霊祭


平和交流館  平成30年8月7日(火)、豊川海軍工廠戦没学友慰霊祭を開催しました。
 東三河会の役員・校友10名とご遺族の方3名、そして、専経同窓会の頃から合同で慰霊祭を行っていた松操高等女学校の方2名を加え、15名で、二つの慰霊碑の御霊を追悼しました。
 慰霊祭の後には、工廠跡地に新たに整備された「豊川海軍工廠平和公園」の見学会も行いました。
 今回は空襲犠牲者の本田義次氏のご遺族の本田章さま他2名の方が、わざわざ京都からお越しになられました。途中、交通渋滞のため、残念ながら慰霊祭の開始時刻には間に合いませんでしたが、 平和公園見学の後、慰霊碑への参拝をされました。



 参加者15名 

東三河会役員>(敬称略)
村田修一、小川公男、安彦章、岡田博由、太田純、青木清美、久保田充三

校友>(敬称略)
廣田幸生、岡田健志、権田聖也

松操高等女学校OG>(敬称略)
後藤和子、他1名

ご遺族>(敬称略)
本田章、他2名




安彦会長の挨拶 安彦会長の挨拶
 岡田副会長の進行により式は開始されます。

 安彦会長の挨拶の後、校歌斉唱を行い、一分間の黙祷へと進みます。



合掌 村田顧問
 空襲当時、小学二年生だった村田顧問からは、当日の様子が語られました。豊橋上空を多数のB29が通過した後に、豊川の空が黒く染まった様子を見たということでした。 今ではなかなか想像できない壮絶な現実だった事でしょう。

献花・合掌 慰霊碑に献花・合掌
 司会の案内により、一人づつ献花・合掌を行い、犠牲者の御霊を弔います。



松操高等女学校の慰霊碑 こちらは松操高等女学校の慰霊碑
 今回も松操高等女学校のOGの方々にもご参加いただきました。隣に建立されている松操高等女学校の慰霊碑にも全員で献花・合掌をします。



集合写真 参加者
 今回は15名が参加しました。ここ数日猛烈な暑さが続いていましたが、この日は少しマシだったでしょうか。




豊川海軍工廠平和公園見学


平和交流館  豊川海軍工廠の跡地には「豊川海軍工廠平和公園」が整備されました。 3ヘクタールの広い敷地の中に、公園工事にあわせて保存整備した豊川海軍工廠の残存遺構、豊川市平和交流館、遊具広場などがあります。 慰霊祭の後に、「豊川海軍工廠語り継ぎボランティア」をしておられる校友の廣田幸生さんに案内して頂き、 平和公園の遺構と展示資料を見学しました。


 参加者9名 

東三河会役員>(敬称略)
村田修一、安彦章、岡田博由

校友>(敬称略)
竹本幸夫、廣田幸生、岡田健志

ご遺族>(敬称略)
本田章、他2名




空襲遺構の見学 空襲遺構の見学
 空襲遺構を見学します。案内していただくのは、「豊川海軍工廠語り継ぎボランティア」をしておられる校友の廣田幸生さんです。



工廠の施設内 工廠の施設内
 豊川海軍工廠は主に銃火器とその弾薬を製造していたそうです。当時使われていたものが残されています。

旧第三信管置場 旧第三信管置場にて
 信管の種類、大砲用・機関銃用など用途別の形などの説明をしています。



公園見学の参加者 参加者
 右に見えるテントの中には、皆さんから寄せられた「千羽鶴」が飾られています。







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